私にとってのライチウス会

| 2020年8月15日

加藤秀明(1978年 工学部卒業)

卒後42年、今回の企画を機に私にとってライチウス会はなんであったのか振り返って見ました。まず、なぜライチに入ったのか。

私は1年浪人し大学に入りましたが、それまでの束縛された生活から開放された中での4年間をどう過ごすのか、きっとワクワクしながら華やかな日吉のキャンパスを闊歩していたのではないかと思います。

そのような中、華やかなテニスサークルへの誘惑等あったと思いますが、4年間何か地に足が付いた時間を過ごしたいという思いがあったのと、父が目の不自由な身障者であり、日頃父に感謝・いたわりを直接表現できない分、同じような障害を持つ方へ奉仕したいという思いがライチウス会の部室へ足を向かわせたのだと思います。

入部後の活動は身体障害者の就労支援事業を行っている世田谷更生館での若い入所者の方に、就労後マンツーマンで勉強を教えるというものでした。週1回の活動ではありましたが、4年間はあっという間に過ぎて行きました。

私は在学中、サークル活動に熱心に取り組んでいた訳でもなく、卒後も特段ボランティアに関わることは無かったのですが、サークルのメンバーのボランティアに対する関わり方は色々です。中には卒後、活動施設の職員になった方や、施設を立ち上げた方、また、公務員として福祉関係の仕事に関与する方や一般企業に勤めながら手話等の私的な活動をされている方等々様々です。

そのように活動を積極的に行っていた訳ではない私でしたが、あるきっかけからライチウス三田会の運営をサポートする立場となり、長い年月を過ごしてまいりました。そこでは、先輩や後輩と会する機会が多々あり、刺激を受けることも多く、自分の世界を広げる貴重な場があるのかと思います。一般的には卒後、大学時代の友人と顔を合わせる機会は徐々に減ってくる方が多いのではないかと思いますが、このような場があることは貴重なことかと思う日々です。