ライチウス三田会創立25周年お祝いの会報告

| 2025年6月1日

〇 2025年5月17日、ライチウス三田会創立25周年お祝いの会が開催されました。

 日吉キャンパス内のファカルティラウンジで、来賓、会員合わせて54名が参加し、盛り沢山の企画でしたが、会場内のあちらこちらで、懐かしい出会いの中、楽しく会話が弾む様子が見られ、終始なごやかなお祝いの会となりました。


ライチウス三田会創立25周年お祝いの会 次第
2025年5月17日(土)16時~18時
慶應義塾大学日吉キャンパスファカルティラウンジ
司会進行:清水信三幹事・矢崎芽生幹事
                              (敬称略)

1.開会                         司会
2.塾歌 斉唱
3.会長挨拶                       半田理恵子     
4.乾杯                   第5代会長 坪川 經大  
5.第4代会長挨拶                    矢野 雄一  
歓談
6.来賓挨拶              至誠学園名誉園長 高橋 利一
7.ライチウス会会長挨拶                 駒村 康平
8.ライチウス会歴代会長紹介         第5代会長 小野桂之介
                       第6代会長 秋山 豊子
9.ライチウス会代表紹介                  代表 軽部 慶太
10. 活動草創期(世田谷更生館)紹介                 半田 常巳
歓談
懐かしい歌(ねむの木の歌・海女の子供)~若き血 斉唱
閉会                          司会 

 司会進行役は、清水信三幹事・矢崎芽生幹事がつとめ、開会の言葉とともに、開会中に会員へのインタビューを行なうことへの協力ならびにスクリーンに懐かしい画像を紹介していくこと等の説明がありました。

〇 塾歌斉唱後、ライチウス三田会半田理恵子会長による挨拶

 「コロナ禍により開催を断念した『ライチウス会創立90周年記念式典』でしたが、その
残念な思いを会員皆様より聴く毎に、2030年の100周年記念行事の前のできる限り早い時期に、何らかの形でお祝いする機会を作らなければと思い、矢野先輩、坪川先輩、矢部先輩、この歴代の三田会会長からのご協力も得て、今回の会の開催決定に至りました。」

〇 ご逝去された会員(2020年から今日までに本会にご連絡あった会員)に黙祷


〇 乾杯 第5代会長 坪川經大さん

 見事な乾杯のご発声でした。

〇 挨拶 第4代会長 矢野雄一さん

 オープンドアの考え方で時に楽しく集い合唱したり、時に至誠学園ではワークキャンプで汗を流したりなど多彩に活動していた懐かしいお話、そしてライチウスOB会からライチウス三田会へと発展、成長していくプロセスの中で、会長としてご苦労されたこと等々、私たちにとって忘れてはならない貴重なお話でした。

〇 歓談


インタビュー  歓談の時間を利用し、内藤麻里子幹事、徳田剛至幹事が行ないました。

ライチウス会が2030年、創立100年を迎えるのを前に、出席者に次の二つの質問に答え ていただき、その様子を動画撮影しました。撮影は徳田剛至(昭和56年卒)、インタビュ ーは内藤麻里子(同58年卒)が担当しました。
「Q ライチの活動はあなたにとって、どういうものでしたか?」
「Q 100周年に向けてライチに期待することは?」
両方答えてくださってもいいし、どちらか一方だけでも構わないけれど、1分以内にお答えくださいというかなり無理な注文をしてしまいました。中には「長くなっていい?」と聞かれた方もいましたが、「ダメです」とすげないことを口にして、今思うと大変申し訳ない対応をしてしまったと反省しています。
それでもみなさん快く質問にお答えくださり、昭和37年卒から平成20年卒まで18人の方々にご登場いただくことができました。インタビューしきれなかった方、また機会がありましたらと思います。
この映像は、創立100年の関連企画や記念誌などに役立てていければと考えています。

〇 来賓挨拶 至誠学園名誉園長 高橋利一さん

 昭和28年から始まった至誠学園とライチウス会との出会いのお話。長い長い関係ですから、ライチウス会会員にとっては、お兄さん、先生、園長先生と呼び方も代わり、今は名誉園長先生です。昔から変わらぬ情熱を持って、児童養護の問題に取り組まれているお姿に、私たちも励まされ、身が引き締まる思いで傾聴しました。

〇 挨拶 ライチウス会会長 駒村康平教授

 新たに学会長となる会議と重なり、今回はビデオ録画によるご挨拶でした。

〇 紹介 第5代ライチウス会長 小野桂之介さん 第6代会長 秋山豊子さん


〇 紹介 ライチウス会代表 軽部慶太さん

〇 活動草創期(世田谷更生館)紹介 半田常巳さん

 世田谷更生館における学習指導開始の経緯について傾聴しましたが、特に読み書き計算を中心とした指導を続け、担当していた方が新聞も読めるようになった事が貴重な体験として心に残るエピソードであること、このような活動が今後もさらに継続していくことを願っていると話されました。

〇 懐かしい歌斉唱

 「ねむの木の歌」「海女の子供」の斉唱の企画ですが、小野さん、坪川さんが中心となり自ずと歌の輪が生まれ、とても懐かしく心温まるひとときでした。

〇 若き血斉唱

ライチウス三田会 鈴木由之幹事長が力強いエールで仕切ってくれました。

〇 閉会

参加者感想

〇 会長半田宛に「良い会でした。」「楽しいひとときを過ごさせていただきました。」 「素敵な会場でした。」「これからも三田会のことをよろしくお願いします。」とのメッセージが届いています。

〇 西川英三郎さん(1990年卒)に、「ライチウス三田会25周年を祝う会に参加して(ライチの思い出)」を寄稿していただきました。

ライチウス三田会創立25周年を祝う会に参加して(ライチの思い出)
令和2年卒 西川英三郎
 入学から、はや40年が過ぎました。最初の1年は4年生で更生館パートだった次兄の下宿に同居したのですが、八雲の風呂無しトイレ共同テレビ無しのレトロな空間は既にライチの溜まり場でした。兄の帰宅を待っていると扉を開ける音が。兄と思ったら兄の同期が顔を出し、「英ちゃん、健は?」ととても自然に先輩が「帰って」くる。ある日は兄の後輩(私の先輩)が21時過ぎに突然扉をノックして「開けて下さい!」と。兄が開けると彼はスーツ姿で立っていて、明日デートで持ち合わせがないからお金貸してください、とか。夏休み、23時頃に日吉にふらっと行ってみると、先輩方がプールに忍び込み泳いでいて守衛さんに見つかりサークル室に逃げ込んできたり。
 私は専ら月曜の学園パートでした。最初に組ませてもらった男の子はなかなか心を開いてくれないまま3カ月経ち、学園のお兄さんの心遣いでペア解消となりました。彼はその後も誰ともペアを組むことなく、気が付くと学園を去っていました。子供だからと甘く考えていた私は、人の心を動かせるなど何と自分は傲慢に考えていたかと思い知りました。その後に組んだ男の子とは、私が途中米国留学のため1年間学園に来られなかった時期も他の人とペアを組まず待っていてくれて、帰国後も彼が親元に戻る日までペアは続きました。しかし、私が卒業して3年後に年賀状の返信代わりに彼の母親から電話があり、二十歳前の彼が余りに早く旅立ったことを聞き愕然とした日も忘れられません。人と人の向き合い方に満点の正解はないでしょうが、その後の私の人生の中で、2人はいつも心の片隅にあり、これからも自分自身に問いかけていくのでしょう。
 先日の会は、還暦を間近に控えた私が、そんなライチという日記帳を久しぶりに手に取ったひとときでした。この邂逅に感謝し、再会を期したいと思います。有難うございました。

 (報告者 半田理恵子)