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現役と三田会の合同勉強会を開催いたしました

日時:2025年5月24日
場所:三田キャンパス西校舎522教室
参加者:会場26名

第七回となるライチウス会現役と三田会の合同勉強会を二年ぶりに開催いたしました。

開会に先立ち、急遽ご欠席となった駒村康平ライチウス会会長のメッセージが代読されました。

『コロナ禍の際、ライチウスは一時活動を休止せざるを得ない状況となり、当時の代表からは、サークルの存続すら危ぶまれるとの報告がありました。90年を超える歴史を持ち、第二次世界大戦すら乗り越えてきたライチウスの活動が、私たちの代で途絶えるのかという危機感が強くありました。そのような中、たまりばの鈴木晶子さんに相談したことを契機に、たまりばの子どもたちとライチウスの学生たちによる、オンラインを活用した勉強や交流の活動が始まりました。このご縁により、ライチウスは活動を継続することができました。たまりばの皆さまは、まさにライチウス存続の恩人です。』

第一部の講師は駒村会長のメッセージにあった認定NPO法人フリースペースたまりば理事長の西野博之さん。「学校に行かない子どもが見ている世界」の演題でご講演をいただきました。

西野さんは、1991年に川崎市の多摩川(タマリバー)のほとりのアパートで学校に行かない子どもたちの居場所を作りました。当時は地域の住民の方々や学校からの理解が得られず、運営は経済的にも大変だったそうです。引きこもり傾向のある子どもたちと一緒に朝の市場で場内配送をなさった、というくだりからすっかり引き込まれました。

2000年12月の「川崎市子どもの権利に関する条例」の成立に関わられ、次第に地域や行政との関係を深めて来られました。2006年からたまりばが「川崎市子ども夢パーク」の運営共同事業体となって、ご自身は2021年まで15年間、その所長を務められました。

不登校の子どもが精神疾患の発症に追い詰められていく状況を見て、50歳を過ぎて勉強をし直して「精神保健福祉士」の国家資格を取得されました。思春期の子どもたちに精神的負荷を加えると学校に行ける、行けないじゃない、精神疾患を発症させてしまう。苦しんでいる子どもをたくさん見て来た。自分のメンタルを守るために朝起きられない身体になるというのも頭の片すみに入れてボランティアに関わってください、とのアドバイスもいただきました。

大切なのは子どもの存在をまるごと肯定的に見るまなざし。自分の存在を「OK!」と見てくれる大人が近くにいることを手に入れた子どもは自分の力で動き出し、生きて行くことができる。「助けて!」を他者に出すこともできる。誰一人孤立させない、一緒に生きて行く街を作ろうというのが私たちの法人のミッション。子どもたちが生まれて来て良かった、生きているって楽しいよと思える社会を実現しましょう!

ここに書き切れない、素晴らしいメッセージがたくさん詰まったご講演でした。

第二部では1978年文学部卒業で三田会幹事長の鈴木由之さんと、法学部政治学科4年で92期代表の小林未來さんに基調報告をお願いしました。

首都圏の公立学校で校長を務めた鈴木さんは、元校長でフリースクール職員のAさん、現役養護教諭のBさんとCさん、言わば「不登校の最前線」にいる三人に取材をされました。それによると、未だに1学級40人の定数で改善が進まない学校現場。そんな状況で、中学校ではクラスに不登校生が一人いるのは当たり前になっている。多岐にわたる改善が行われているが、教職員の熱意や使命感に依存する学校の現状では、不登校生への対応のハードルはなかなか低くならない。不登校の子どもが特別ではない。一歩違えばどの子にもその可能性がある。子どもたちには「自分は自分でいいんだよ」と認めてくれる人の存在が大切だと報告してくださいました。

ライチ入会当初の小林さんは、たまりばの中学三年生の男子とオンラインの学習支援活動に取り組みました。最初は画面越しのコミュニケーションに難しさを感じたそうですが、その子が高校に進学して活動が終了してもLINEで生活ぶりを報告してくれるなど関係が続いたとのことです。その後は東京育成園で中学二年生の女子と雑談や息抜き多め+少し勉強の対面活動を行い、時間をかけて信頼関係を構築したそうです。後輩達に、ボランティアは自分を一番成長させてくれる活動であり、ライチには仲間と環境が揃っている、とのメッセージを送ってくれました。

お二人の報告を伺った後、半田理恵子三田会会長の進行で、西野理事長にも加わっていただき、パネルディスカッションを行いました。

鈴木さんから、「西野さんを活動に駆り立てているものは何ですか?」との問いかけがありました。

これに対して西野理事長はひと言、「関わっていた子どもの自死です」。ご講演の中でも「学校に行けないだけで命を絶っていった子どもと何人も出会った、本当に悔しいです」と話されていました。昨年一年間で自殺した子どもの総数は529人。この中にすべてではないが、不登校の子どもが含まれている。「もう二度とこんな悲しい事件を起こしたくないというのが、私がこの年になっても仕事を止められない大きな要因です」。

入学したばかりの新入会員から、「親族に教育関係者がいるが、学校の先生が大変だと聞いている。クラスの定員を減らしたら良いのではないか」との提案があり、結論は出ないながら活発な応答につながりました。

このようにして、今回の合同勉強会は無事終了いたしました。講師の西野博之理事長とご参加の皆様には、心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。


ご参加の三田会員の方々から早速メールでご感想をいただいています。

<西野先生の講演、その後のパネルディスカッション、大変勉強になりました。西野先生の話に、子供たちから「まず大人こそ幸せになって」と言われたと感動的な話がありましたが、鈴木さんの基調報告で学校の現状を知ると、「まず先生たちが幸せに働いて」と思わずにはいられませんでした。子供や若者が元気でない国に将来はありません。それを考えるにつけ、暗澹たる気持ちになる日本の現状ですが、こうした先生の話や学生さんの話を聞いて、身近なところで、少しずつでもできることがある、との気持ちを新たにしました。>

<活動をしながら子どもと関わりながら、自分自身に得るもの、気づきがあったという現役学生の言葉が印象に残りました。いま、子どもたちだけでなく、学校現場の先生方のたいへんさと余裕のなさがかんじられるとき、先生も自分で抱え込まないこと、教員だけでない人たちが学校に入って地域で子どもたちを育てていくこと、その中に学生のもつ力も入っていかれるような仕組みがつくられていくことの大切さをパネルディスカッションの中で西野さんが話されていました。

学校現場や社会がそうなっていくことの期待とともに、学生ができること、学生だからできることがあると思います。できること、やってみたいことを見つけ、皆さんにはやっていってほしいなと思っています。>

春の合同勉強会と、秋の総会は、三田会活動の二本柱です。会員の皆様には引続きご支援ご協力をいただきたく、何卒よろしくお願いいたします。

担当幹事:飯塚克己

ライチウス三田会創立25周年お祝いの会報告

〇 2025年5月17日、ライチウス三田会創立25周年お祝いの会が開催されました。

 日吉キャンパス内のファカルティラウンジで、来賓、会員合わせて54名が参加し、盛り沢山の企画でしたが、会場内のあちらこちらで、懐かしい出会いの中、楽しく会話が弾む様子が見られ、終始なごやかなお祝いの会となりました。


ライチウス三田会創立25周年お祝いの会 次第
2025年5月17日(土)16時~18時
慶應義塾大学日吉キャンパスファカルティラウンジ
司会進行:清水信三幹事・矢崎芽生幹事
                              (敬称略)

1.開会                         司会
2.塾歌 斉唱
3.会長挨拶                       半田理恵子     
4.乾杯                   第5代会長 坪川 經大  
5.第4代会長挨拶                    矢野 雄一  
歓談
6.来賓挨拶              至誠学園名誉園長 高橋 利一
7.ライチウス会会長挨拶                 駒村 康平
8.ライチウス会歴代会長紹介         第5代会長 小野桂之介
                       第6代会長 秋山 豊子
9.ライチウス会代表紹介                  代表 軽部 慶太
10. 活動草創期(世田谷更生館)紹介                 半田 常巳
歓談
懐かしい歌(ねむの木の歌・海女の子供)~若き血 斉唱
閉会                          司会 

 司会進行役は、清水信三幹事・矢崎芽生幹事がつとめ、開会の言葉とともに、開会中に会員へのインタビューを行なうことへの協力ならびにスクリーンに懐かしい画像を紹介していくこと等の説明がありました。

〇 塾歌斉唱後、ライチウス三田会半田理恵子会長による挨拶

 「コロナ禍により開催を断念した『ライチウス会創立90周年記念式典』でしたが、その
残念な思いを会員皆様より聴く毎に、2030年の100周年記念行事の前のできる限り早い時期に、何らかの形でお祝いする機会を作らなければと思い、矢野先輩、坪川先輩、矢部先輩、この歴代の三田会会長からのご協力も得て、今回の会の開催決定に至りました。」

〇 ご逝去された会員(2020年から今日までに本会にご連絡あった会員)に黙祷


〇 乾杯 第5代会長 坪川經大さん

 見事な乾杯のご発声でした。

〇 挨拶 第4代会長 矢野雄一さん

 オープンドアの考え方で時に楽しく集い合唱したり、時に至誠学園ではワークキャンプで汗を流したりなど多彩に活動していた懐かしいお話、そしてライチウスOB会からライチウス三田会へと発展、成長していくプロセスの中で、会長としてご苦労されたこと等々、私たちにとって忘れてはならない貴重なお話でした。

〇 歓談


インタビュー  歓談の時間を利用し、内藤麻里子幹事、徳田剛至幹事が行ないました。

ライチウス会が2030年、創立100年を迎えるのを前に、出席者に次の二つの質問に答え ていただき、その様子を動画撮影しました。撮影は徳田剛至(昭和56年卒)、インタビュ ーは内藤麻里子(同58年卒)が担当しました。
「Q ライチの活動はあなたにとって、どういうものでしたか?」
「Q 100周年に向けてライチに期待することは?」
両方答えてくださってもいいし、どちらか一方だけでも構わないけれど、1分以内にお答えくださいというかなり無理な注文をしてしまいました。中には「長くなっていい?」と聞かれた方もいましたが、「ダメです」とすげないことを口にして、今思うと大変申し訳ない対応をしてしまったと反省しています。
それでもみなさん快く質問にお答えくださり、昭和37年卒から平成20年卒まで18人の方々にご登場いただくことができました。インタビューしきれなかった方、また機会がありましたらと思います。
この映像は、創立100年の関連企画や記念誌などに役立てていければと考えています。

〇 来賓挨拶 至誠学園名誉園長 高橋利一さん

 昭和28年から始まった至誠学園とライチウス会との出会いのお話。長い長い関係ですから、ライチウス会会員にとっては、お兄さん、先生、園長先生と呼び方も代わり、今は名誉園長先生です。昔から変わらぬ情熱を持って、児童養護の問題に取り組まれているお姿に、私たちも励まされ、身が引き締まる思いで傾聴しました。

〇 挨拶 ライチウス会会長 駒村康平教授

 新たに学会長となる会議と重なり、今回はビデオ録画によるご挨拶でした。

〇 紹介 第5代ライチウス会長 小野桂之介さん 第6代会長 秋山豊子さん


〇 紹介 ライチウス会代表 軽部慶太さん

〇 活動草創期(世田谷更生館)紹介 半田常巳さん

 世田谷更生館における学習指導開始の経緯について傾聴しましたが、特に読み書き計算を中心とした指導を続け、担当していた方が新聞も読めるようになった事が貴重な体験として心に残るエピソードであること、このような活動が今後もさらに継続していくことを願っていると話されました。

〇 懐かしい歌斉唱

 「ねむの木の歌」「海女の子供」の斉唱の企画ですが、小野さん、坪川さんが中心となり自ずと歌の輪が生まれ、とても懐かしく心温まるひとときでした。

〇 若き血斉唱

ライチウス三田会 鈴木由之幹事長が力強いエールで仕切ってくれました。

〇 閉会

参加者感想

〇 会長半田宛に「良い会でした。」「楽しいひとときを過ごさせていただきました。」 「素敵な会場でした。」「これからも三田会のことをよろしくお願いします。」とのメッセージが届いています。

〇 西川英三郎さん(1990年卒)に、「ライチウス三田会25周年を祝う会に参加して(ライチの思い出)」を寄稿していただきました。

ライチウス三田会創立25周年を祝う会に参加して(ライチの思い出)
平成2年卒 西川英三郎
 入学から、はや40年が過ぎました。最初の1年は4年生で更生館パートだった次兄の下宿に同居したのですが、八雲の風呂無しトイレ共同テレビ無しのレトロな空間は既にライチの溜まり場でした。兄の帰宅を待っていると扉を開ける音が。兄と思ったら兄の同期が顔を出し、「英ちゃん、健は?」ととても自然に先輩が「帰って」くる。ある日は兄の後輩(私の先輩)が21時過ぎに突然扉をノックして「開けて下さい!」と。兄が開けると彼はスーツ姿で立っていて、明日デートで持ち合わせがないからお金貸してください、とか。夏休み、23時頃に日吉にふらっと行ってみると、先輩方がプールに忍び込み泳いでいて守衛さんに見つかりサークル室に逃げ込んできたり。
 私は専ら月曜の学園パートでした。最初に組ませてもらった男の子はなかなか心を開いてくれないまま3カ月経ち、学園のお兄さんの心遣いでペア解消となりました。彼はその後も誰ともペアを組むことなく、気が付くと学園を去っていました。子供だからと甘く考えていた私は、人の心を動かせるなど何と自分は傲慢に考えていたかと思い知りました。その後に組んだ男の子とは、私が途中米国留学のため1年間学園に来られなかった時期も他の人とペアを組まず待っていてくれて、帰国後も彼が親元に戻る日までペアは続きました。しかし、私が卒業して3年後に年賀状の返信代わりに彼の母親から電話があり、二十歳前の彼が余りに早く旅立ったことを聞き愕然とした日も忘れられません。人と人の向き合い方に満点の正解はないでしょうが、その後の私の人生の中で、2人はいつも心の片隅にあり、これからも自分自身に問いかけていくのでしょう。
 先日の会は、還暦を間近に控えた私が、そんなライチという日記帳を久しぶりに手に取ったひとときでした。この邂逅に感謝し、再会を期したいと思います。有難うございました。

 (報告者 半田理恵子)