「信頼という名のバトン」

| 2020年8月15日

半田理恵子(1976年 文学部卒業)

1972年秋、日吉キャンパスには学費値上げ反対を掲げる看板があちこちに立ち始め、全学ストライキを決行するか否かの学生大会が記念館で開かれました。通常の授業はすでに無く、塾生各々が生活の選択の自己決定を迫られていた時代でした。「もう間に合わない。私、学園に行きますね。」ライチの仲間達と共に出席していた私は、自身の意向を仲間に託し立川に向かいました。

私の心を動かした思い、それは、「私との勉強会を楽しみに待っている子供たちとの約束を守らなければいけない、幾度も裏切られた体験を持つであろう子供たちに大学の複雑な事情を説明することなどできない、ライチのお姉さんというだけで私を受け入れてくれた子供たちそして職員の皆さんではないか」
この時、私は改めて、ボランティア活動を継続していく責任と失ってはいけない信頼の重さを痛感したのでした。
しかし、多くの仲間が経験したように、この活動も大学卒業という必然によって、終わりを遂げるのです。築き上げたであろう子供達や障がいある方々との信頼にこうして終止符を打ちながらも、卒業する私達を笑顔で送って下さった皆さんでした。
そして、私達はこの時初めて学ぶのかもしれません。ライチウス会が90年間にも及ぶ歴史を積み上げてきた真の意味を。

そう、私達は子供達や障がいある方々との信頼を守り続けるために「信頼という名のバトン」を後輩に託すことで、ライチウス会から卒業できるのです。

バトンリレーは90年の歳月を経ました。
このリレーに、もしゴールがあるとすれば、そこにはどのような社会の姿があるのでしょうか。

ゴールはまだまだ見えません。