Category Archives: 90周年投稿

私にとってのライチウス会

加藤秀明(1978年 工学部卒業) 卒後42年、今回の企画を機に私にとってライチウス会はなんであったのか振り返って見ました。まず、なぜライチに入ったのか。 私は1年浪人し大学に入りましたが、それまでの束縛された生活から開… Read More »

私にとってのライチ

世羅芳昭 (1977年 文学部卒業) 私は3年になって活動が怠慢になり、後輩の顔もロクに覚えず、卒業後わずかな人たちとしか連絡を取らず、総会にはほとんど参加せず。もうライチは自分の中で終わったと、思い込んでいました。 一… Read More »

貴い四年間

木村慈子(1971年 文学部卒業) 大学に入って、一年の時過ごした日吉のキャンパスは、自由と活気に満ちていました。 そんな中、私は地味なサークルを選びました。 “ライチウス”との出会いです。 はじめの頃は至誠学園の門をく… Read More »

懐かしいライチウス 

宇都宮良治 (昭和32年卒業) ライチウス会には昭和29年から32年までの3年間在籍した。当時のライチウス会は、興味を同じくする会員が集まって活発に活動していた。三田の演説館で、サルトルの「出口なし」が上演され、そのうま… Read More »

「信頼という名のバトン」

半田理恵子(1976年 文学部卒業) 1972年秋、日吉キャンパスには学費値上げ反対を掲げる看板があちこちに立ち始め、全学ストライキを決行するか否かの学生大会が記念館で開かれました。通常の授業はすでに無く、塾生各々が生活… Read More »