懐かしいライチウス 

| 2020年8月15日

                        宇都宮良治 (昭和32年卒業)

 

ライチウス会には昭和29年から32年までの3年間在籍した。

当時のライチウス会は、興味を同じくする会員が集まって活発に活動していた。

三田の演説館で、サルトルの「出口なし」が上演され、そのうまさに驚いた。

「会誌」も発行され粗末なガリ版刷りだが、特集で「学生と恋愛」(座談会)、「ワークキャンプをどう思う」(アンケートより)」や、人生論、小説、劇評、音楽評論と多彩で、レベルが高かった。コーラスグループもあった。

 

しかし、ライチウスの中心的活動はワークキャンプで、私も力を注いだ。

至誠学舎へ日曜日に行き、子供に勉強を教える勉強組とグランドなどを整備する土木組とに別れたが、私は終止「土木組」。そのうち子供たちに「人形劇」を見せることになったが、経験が無い者ばかりの集まりだから開演直前までドタバタの連続。それでも、子供たちは喜んでくれ、至誠学舎の人が人形劇のセットを譲ってくれと言われた。その後、後輩たちが「影絵」を創作し、素晴らしい出来栄えで子供たちの人気をさらに高めた。

 

ワークキャンプと同じ気持ちで「北海道の冷害を支援する街頭募金」をJR有楽町駅と品川駅でやり、男女2組が一日じゅう声を張り上げて10万円近く集めた。その頃、慶応の学生が街頭募金をするのがめずらしく、予想外の成果だった。退職してから、所属する財団で2回、母校の高校で1回、ボランティアで募金をやったが苦しい時には当時のことを思いだして頑張った。

 

ライチウスの同期とは今も交流が続く。有志やご夫妻で私の居る松山を訪ねてくれたのが嬉しかった。

至誠学舎での土木作業の様子

写真(1)至誠学舎での「土木作業」(右端が筆者) 

 

当時のライチウス会誌

写真(2)ライチウス会誌

 

軽井沢・興望館の合宿でフォークダンスをしている当時の学生たち

写真(3)軽井沢・興望館の合宿でフォークダンス

 

軽井沢・興望館の合宿でサイクリングを楽しむ当時の学生たち

写真(4)同=サイクリング