貴い四年間

| 2020年8月15日

 

木村慈子(1971年 文学部卒業)

 

大学に入って、一年の時過ごした日吉のキャンパスは、自由と活気に満ちていました。 そんな中、私は地味なサークルを選びました。 “ライチウス”との出会いです。 はじめの頃は至誠学園の門をくぐるのに、敷居が高いな、と感じたものでしたが、児童と一対一で向き合う勉強会は大きな責任を負うだけにやりがいのある活動でした。

 

二年で三田に来てみると、「ベトナム戦争反対」だとか「沖縄を返せ」などと書かれた看板が構内のあちこちに立っていました。 それを他人事のように見ていました。

学園では、季節ごとの行事に泊まり込みでお手伝いをするのが楽しくてしかたありませんでした。 大きなお台所の大きな釜で炊けたご飯の何と美味しかったこと! “お母さん”や“お姉さん”それから子供達から沢山のことを学びました。

 

担当学年の三年になる頃、学校では医学部の米軍資金導入という問題が発覚しました。 医学部の研究に米軍からの資金が流れている・・・それって、私たちがベトナム戦争に加担しているってことなんだろうか? 枯葉剤の開発に果たして医学部がかかわっていたのかどうか・・・・その真実は謎のままです。 ただ真面目に問題を考えていた人たちが学生運動推進派となって離れていきました。

サークルのメンバーがばらばらになって、私自身は何とかそこに留まるのが精一杯でした。

 

先輩たちから受け継いだライチの伝統と遺産を次の世代へと引き渡せなかったらどうしよう・・・?

それは大丈夫でした! 後輩たちはしっかりと道を広げ、歩を進めています。 

このバトンリレーが90年も繋がっていること、それから未来へ・・・・誇らしく思います。