Author Archives: raittius-ob

2023年度ライチウス三田会総会事前のお知らせ

会員の皆様

例年になく花々が早く咲いているこの春ですが、皆様にはご健勝のことと拝察いたします。昨年10月には3年ぶりとなる総会を開催することができました。初のオンライン配信・参加(Zoom)も実現しました。皆様のご協力・ご支援に幹事一同深く感謝申し上げます。

さて、今年度の三田会総会は下記のように開催する予定で準備を進めているところです。今年は総会と懇親会を組み合わせて実施する予定です。総会の講演はタレントで日本酒スタイリストの島田律子さんを予定しています。懇親会では島田さんのお話・日本酒の楽しみ方を聞きながら親交を深めたいと思います。なお、コロナ禍で、オンラインでしか追いコンを経験できなかったこの3年間のライチ卒業生の招待も企画しています。
皆様、同期の仲間をお誘い合わせの上ご参加ください。

1,日時 2023年10月28日(土)13:00

2,会場 第1部 慶應義塾大学三田キャンパス第一校舎121教室
第2部 山食

3,内容
第1部 13:00
・年次総会
・講演 講師 島田律子さん(タレント、エッセイスト、日本酒スタイリスト)
・グループ懇談

第2部 16:00
・懇親会

4、その他
・第1部のみ、第2部のみの参加も可能です。参加費は未定です。
・希望者にはキャンパスツアーを実施します。(午前中)
・内容は変わることがあります
・正式のご案内は後日郵送いたします。
・島田律子さんは元JALのCAで、かつての人気TV番組『さんまの「恋のから騒ぎ」』の1期生でした。
自閉症の弟さんをめぐり家族に起こった出来事を中心に講演していただきます。

昨年度の総会より

幹事長 鈴木由之(S53卒)

「ライチウス会 合同勉強会」 開催のお知らせ

コロナ禍により中止を余儀なくされておりました「ライチウス会 合同勉強会」を今年度より再開いたします。

従来10~12月に開催しておりましたが、現役の新入会員の入会後、彼らへのオリエンを兼ねた勉強会として、春季に開催することになりました。第6回となる、今回の開催内容は以下のとおりです。

日時 : 4月29日 (土・昭和の日)

場所 : 三田キャンパス 西校舎1階 515教室

タイムスケジュール :

14:45      開場

15:00      開会~駒村康平ライチウス会会長のご挨拶

15:10~16:00 第一部 森さち子講師による講演 「心の通い合いを求めて」

16:00~16:15 質疑応答

小憩

16:20~17:20 第二部 パネルディスカッション 「心の通い合いを求めて」

17:30      閉会

講師 : 森さち子

東京都出身。ライチウス三田会会員。現役時は主に世田谷更生館(友愛園)で活動。1986年慶應義塾大学文学部人間関係学科卒業。1991年慶應義塾大学修士課程終了。1993年慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室助教。2008年博士取得。現在、慶應義塾大学総合政策学部教授。専攻:臨床心理学・精神分析学。
資格:臨床心理士・公認心理師。主な著書:2010年「かかわり合いの心理臨床−体験すること・言葉にすることの精神分析」、2022年「新版 症例でたどる子どもの心理療法−情緒的通い合いを求めて」。

パネルディスカッション コーディネーター : 半田理恵子

1976年文学部卒業。ライチウス三田会会長。東京都言語聴覚士会前会長。

パネリスト : 坂井隆之

1986年経済学部卒業。ライチウス三田会会員。明星大学特任教授。元杉並児童相談所所長。

パネリスト :安田光里

法学部政治学科4年。ライチウス会90期代表。

司会 : 島崎杜香

文学部3年。ライチウス会91期代表。


掲載したポスターはライチウス会の現役がSNS発信用に制作したもので、新入会員の獲得に努めています。

合同勉強会は、昨年の三田会総会と同様に、会場とオンライン中継(Zoom)を同時に開催いたします。

多くの三田会会員の皆様のご参加をお待ちしております。

ライチウス三田会総会報告


〇10月22日、ライチウス三田会総会が開催されました

コロナ禍での開催となり、従来の飲食を伴う懇親会中心から講演・自由懇談中心に内容が変更されました。会場も三田キャンパスに移しました。新たにオンラインによる参加が可能となりました。

参加者集合写真

〇総会に先立って希望者の参加による三田キャンパスツアーが行われました

塾員センター中里課長の案内で・福澤記念館(旧図書館) ・演説館 ・法科大学院模擬裁判教室 ・イサムノグチ設計の建物を巡りました。

ツアー 担当者感想

「今回、初めて実現したキャンパスツアーは、塾員センターの中里氏に休日を返上してご案内いただくという大変貴重な2 時間でした。
図書館旧館では入ってすぐ右手が喫茶スペースになっていることに驚き、2階の展示室の充実ぶりには時を忘れ、三田の演説館では、そのモダンな外観の内部まで開放していただき、歴史を感じさせる重厚な造りに目を見張りました。
そして南館の旧ノグチ・ルームや地下の模擬裁判所などは、在学中にはなかった新しいスペースで義塾の発展が手に取るように分かりました。
今後もこのツアーが続き、現役生も参加するようになったらもっと有意義なのにと来年に思いを馳せました。

【末光奈緒子 S55卒】

〇総会では規約にしたがい次のことが承認されました

 ・新役員(コロナ渦で就任した次の役員を改めて承認)
   会長:半田理恵子(S51卒)  副会長:加藤秀明(S53)
   会計監事:餘吾徳造(S50) 末光奈緒子(S55)
 ・2021年度会計報告

〇経済学部教授・ライチウス会会長 駒村康平先生に講演をしていただきました

演題「人を助けるとはどういうことか」

参加者感想

「・仲本工事さんの事故例から、高齢者は情動機能が強くなり自信過剰になる。自分を客観的に見るメタ認知が求められる。 
・血吸いコウモリは48時間血を吸わないと死ぬが余裕があると仲間に血を分けてあげる。ふだんもらってばかりであげないものはいざというときに分けてもらえない。
・日本の高齢男性は家族以外に相談できる友人がおらず先進国中で最も孤独。
・リンカーンは友人には愚痴ばかり言っていた。愚痴を聞いてもらえる相手がいることで大統領職に集中できた。
・孤独孤立は大きな問題。人のお世話をするように、人のお世話になるように、そして感謝をするようなお互い様のコミュニティ作りが必要。などのお話は高齢者の仲間入りをした私には印象的でした。
教授の著書「社会のしんがり」をさっそく読ませていただきました。制度の網から漏れてしまう人たちを支援する人々を教授は「しんがり」とよんでいます。昭和20年代後半から至誠学園でのボランティア活動を始めたライチウスの先輩方は「しんがりのさきがけ」ともいえるのではないでしょうか。」

【鈴木由之S53卒】

〇講演の後、参加者は4つのグループに分かれて「自由懇談・情報交換」に移りました

参加者感想

「今回の総会では、後半に「自由懇談・情報交換」の時間を設け、4つのテーマに分かれて、現役とOG/OBが入り混じって座り、対話しました。4つのテーマは、「大学教育」「ボランティア活動」「社会と学生生活」「ライチウス活動」。現在のことや、過去を振り返りながら、一人ひとりが発言し、共感や多くの気づきがありました。特に、コロナ禍での現役の皆さんの思いや現状、OG/OBのそれぞれの時代の経験やチャレンジなどを共有する貴重な機会となりました。あっという間に時間が過ぎ、参加者の皆さんからもとても好評でした。年齢や立場を超えて共に考えていくために、今後の総会でもぜひ「自由懇談・情報交換」を行っていければと思います。」

【津山直子 S59卒】

「ライチの歴史を感じた。今も支えてくださる人がいて活動が継続できているのだと感じた。自由交流会は話し足りなかった。最初の方は話が進まないが、時間が経つと疑問や意見が次々と湧き出て来るのを実感した。OB OGの方が優しく話を聞き出してくださり、アドバイスや経験談を話してくださったのでとても貴重な機会だったと思う。自分もこのようにしてライチの伝統を引き継ぎ、次世代へと繋げていきたい。」

【現役学生】

「先日は現役生も参加させていただきありがとうございました。OBの方とも交流できとても有意義に過ごすことができました。また、OBの方とお話しする上で、相手の方の年代も幅広く改めてライチウス会の伝統を感じることができました。そうした中で一番印象に残ったのは、最後に行った自由懇談の時間です。私はCブースに行ったのですが、学生運動から地下鉄サリン事件、東日本大震災の時の様子を実際に知ることができとても良かったです。ただ時間が押してしまっていたこともあり突っ込んだところまでお話しすることができなかったので、次回もこうした機会を設けていただけるのであれば、時間を長くしていただきたいです。」

【現役学生】

〇今回オンラインによる総会参加が試みられました。

オンライン参加者(写真提供は飯塚)

オンライン担当者から

「オンラインには全国各地から10名以上の会員にご参加いただきました。画面上で総会と駒村先生の講演を視聴した後、会場で「自由懇談・情報交換」が始まった時間帯には、オンライン参加の皆さんで自己紹介タイムとなりました。さらに会長・幹事長の飛び入り参加、駒村先生との質疑応答も行われました。地方在住や個別の事情で総会会場に足を運びにくいという会員の方々にも、懐かしい「ライチの日々」を思い起こす、楽しいひとときになったものと思います。」 

           【飯塚克己S54卒】

〇写真家 山崎弘義氏S55卒 に写真を提供していただきました

オンラインの写真を除きキャンパスツアーから撮影していただきました。

〇3年ぶりの総会でした

しかもコロナ禍です。講演・懇談中心に内容を変えたこともあり参加者の少ないことが危惧されましたが、現役学生、オンラインを含めて80名の会員の参加があり、盛会となりました。
会員のみなさまのご協力に感謝申し上げます。                     

幹事長 鈴木由之

会長挨拶

  慶應義塾大学ライチウス会は塾開塾1858年(安政5年)から72年後の1930年(昭和5年)4月に発足しました。 以来、歴代会長の指導のもと、各時代の現役の皆さんの努力はもとより、その時々に実践活動の場を提供していただいた福祉施設の皆様をはじめ多くの関係者のご理解・ご協力により、今日に至るまで活動が継続されてまいりました。公認学生団体文化団体連盟の90団体の中では長い歴史を有する団体の一つとなっております。

 2021年には創立90周年を迎え、記念式典開催をはじめ記念誌発行等、様々に90周年を祝う事業を検討してまいりましたが、想像だにしなかったCOVIT-19によるパンデミックが社会を襲い、その影響は私たちの日常生活を変貌させ、今やマスク無しの生活は考えられず、楽しいはずの会食も会話も制約のある環境においてのみ許されるという現状が、今なお継続されています。

 そのような事態が、対面でのボランティア活動を大切にし実践してきたライチウス会の活動にどれ程の影響を与え続けてきているか、ライチウス会OBOGの会である私たち三田会も大変心配し、支援のあり方を模索しながら今日に至っております。

 さて、このように大きな課題を抱えるこの時ではありますが、昨年11月より、ライチウス三田会皆様の承認を得て、会長に就任致しました。大学入学の1972年より過ごした4年間におよぶライチウス会でのボランティア活動は、その後の私の人生を変えうる程に大きな学びと影響を与えたものでした。当時は、「ボランティア」に対する偏見さえもあった時代でしたが、児童養護施設至誠学園における子供たちとの勉強会を中心とした活動、障がいある方々への直接的な介助活動、知的障がい者施設のプール開きのために半日プール掃除を行なうなどのワークキャンプ、宮城まり子さんの創ったドキュメンタリー映画「ねむの木の詩」の学内での上映活動に代表されるような広報活動、善意銀行から依頼される様々なニーズを学内に呼びかけ協力を得ていくボランティアビューローとしての活動など、多岐にわたる活動を通して、社会の直面する問題を学び、時に「ボランティア」とは何かを議論し、将来の生き方をも議論しあった思い出深い4年間でした。

 卒業後3年間の銀行勤務の後、再度、勉学の道を選択し、言語聴覚士という専門職を得、以降40年間、リハビリテーションに関わる仕事を継続してきましたが、もしライチウス会に入会していなければ、全く異なる人生を歩んでいたであろうとも思える程に、私にとって、その存在は大きいものでした。

 ライチウス会は、今、大きな転機を迎えています。対面の活動に制約が生まれ、様々な困難の中で生活する子供たち、障がいある方々への支援が容易にできない歯痒さの中で、新たな支援の形を模索しています。

 しかし、どのような時代であろうとも、ライチウス会の活動を理解し、支援し協力を惜しまないライチウス三田会でありたいと思います。

 皆様のご理解ご協力を今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

2022年1月吉日

ライチウス三田会
会長 半田理恵子

私にとってのライチウス会

加藤秀明(1978年 工学部卒業)

卒後42年、今回の企画を機に私にとってライチウス会はなんであったのか振り返って見ました。まず、なぜライチに入ったのか。

私は1年浪人し大学に入りましたが、それまでの束縛された生活から開放された中での4年間をどう過ごすのか、きっとワクワクしながら華やかな日吉のキャンパスを闊歩していたのではないかと思います。

そのような中、華やかなテニスサークルへの誘惑等あったと思いますが、4年間何か地に足が付いた時間を過ごしたいという思いがあったのと、父が目の不自由な身障者であり、日頃父に感謝・いたわりを直接表現できない分、同じような障害を持つ方へ奉仕したいという思いがライチウス会の部室へ足を向かわせたのだと思います。

入部後の活動は身体障害者の就労支援事業を行っている世田谷更生館での若い入所者の方に、就労後マンツーマンで勉強を教えるというものでした。週1回の活動ではありましたが、4年間はあっという間に過ぎて行きました。

私は在学中、サークル活動に熱心に取り組んでいた訳でもなく、卒後も特段ボランティアに関わることは無かったのですが、サークルのメンバーのボランティアに対する関わり方は色々です。中には卒後、活動施設の職員になった方や、施設を立ち上げた方、また、公務員として福祉関係の仕事に関与する方や一般企業に勤めながら手話等の私的な活動をされている方等々様々です。

そのように活動を積極的に行っていた訳ではない私でしたが、あるきっかけからライチウス三田会の運営をサポートする立場となり、長い年月を過ごしてまいりました。そこでは、先輩や後輩と会する機会が多々あり、刺激を受けることも多く、自分の世界を広げる貴重な場があるのかと思います。一般的には卒後、大学時代の友人と顔を合わせる機会は徐々に減ってくる方が多いのではないかと思いますが、このような場があることは貴重なことかと思う日々です。

私にとってのライチ

世羅芳昭 (1977年 文学部卒業)

私は3年になって活動が怠慢になり、後輩の顔もロクに覚えず、卒業後わずかな人たちとしか連絡を取らず、総会にはほとんど参加せず。もうライチは自分の中で終わったと、思い込んでいました。

一昨々年同期が亡くなり、「故人と語る会」への参加をきっかけに、思いもよらず三田会幹事会に加わることになりました。先輩・後輩・学生さん・同期。現役時代に出会うことができなかった、年の離れた皆さんとも、旧知の仲のように、自然体で、楽しくお会いしています。

仲間は素晴しいです。長年の空白は無関係。今、お仕事やご家庭の事情などで忙しく、ライチから離れていらっしゃる皆さんも、戻ることは簡単です。OG OB 全員=三田会員です。敷居が高かった私でも、皆さん笑顔で迎えてくれました。

機会はいつでも、どこにでも。

懐かしい顔、顔、顔があなたを待っていますよ。

貴い四年間

木村慈子(1971年 文学部卒業)

大学に入って、一年の時過ごした日吉のキャンパスは、自由と活気に満ちていました。 そんな中、私は地味なサークルを選びました。 “ライチウス”との出会いです。 はじめの頃は至誠学園の門をくぐるのに、敷居が高いな、と感じたものでしたが、児童と一対一で向き合う勉強会は大きな責任を負うだけにやりがいのある活動でした。

二年で三田に来てみると、「ベトナム戦争反対」だとか「沖縄を返せ」などと書かれた看板が構内のあちこちに立っていました。 それを他人事のように見ていました。

学園では、季節ごとの行事に泊まり込みでお手伝いをするのが楽しくてしかたありませんでした。 大きなお台所の大きな釜で炊けたご飯の何と美味しかったこと! “お母さん”や“お姉さん”それから子供達から沢山のことを学びました。

担当学年の三年になる頃、学校では医学部の米軍資金導入という問題が発覚しました。 医学部の研究に米軍からの資金が流れている・・・それって、私たちがベトナム戦争に加担しているってことなんだろうか? 枯葉剤の開発に果たして医学部がかかわっていたのかどうか・・・・その真実は謎のままです。 ただ真面目に問題を考えていた人たちが学生運動推進派となって離れていきました。

サークルのメンバーがばらばらになって、私自身は何とかそこに留まるのが精一杯でした。

先輩たちから受け継いだライチの伝統と遺産を次の世代へと引き渡せなかったらどうしよう・・・?

それは大丈夫でした! 後輩たちはしっかりと道を広げ、歩を進めています。

このバトンリレーが90年も繋がっていること、それから未来へ・・・・誇らしく思います。

懐かしいライチウス 

宇都宮良治 (昭和32年卒業)

ライチウス会には昭和29年から32年までの3年間在籍した。当時のライチウス会は、興味を同じくする会員が集まって活発に活動していた。三田の演説館で、サルトルの「出口なし」が上演され、そのうまさに驚いた。「会誌」も発行され粗末なガリ版刷りだが、特集で「学生と恋愛」(座談会)、「ワークキャンプをどう思う」(アンケートより)」や、人生論、小説、劇評、音楽評論と多彩で、レベルが高かった。コーラスグループもあった。

しかし、ライチウスの中心的活動はワークキャンプで、私も力を注いだ。

至誠学舎へ日曜日に行き、子供に勉強を教える勉強組とグランドなどを整備する土木組とに別れたが、私は終止「土木組」。そのうち子供たちに「人形劇」を見せることになったが、経験が無い者ばかりの集まりだから開演直前までドタバタの連続。それでも、子供たちは喜んでくれ、至誠学舎の人が人形劇のセットを譲ってくれと言われた。その後、後輩たちが「影絵」を創作し、素晴らしい出来栄えで子供たちの人気をさらに高めた。

ワークキャンプと同じ気持ちで「北海道の冷害を支援する街頭募金」をJR有楽町駅と品川駅でやり、男女2組が一日じゅう声を張り上げて10万円近く集めた。その頃、慶応の学生が街頭募金をするのがめずらしく、予想外の成果だった。退職してから、所属する財団で2回、母校の高校で1回、ボランティアで募金をやったが苦しい時には当時のことを思いだして頑張った。

ライチウスの同期とは今も交流が続く。有志やご夫妻で私の居る松山を訪ねてくれたのが嬉しかった。

                        

至誠学舎での土木作業の様子

写真(1)至誠学舎での「土木作業」(右端が筆者) 


当時のライチウス会誌

写真(2)ライチウス会誌


軽井沢・興望館の合宿でフォークダンスをしている当時の学生たち

写真(3)軽井沢・興望館の合宿でフォークダンス


軽井沢・興望館の合宿でサイクリングを楽しむ当時の学生たち

写真(4)同=サイクリング


心に残る言葉 「信頼という名のバトン」

餘吾徳造(1975年法学部法律学科卒業)

日々の生活の中で、心に残る言葉に出会うことがあります。
2019年11月に開催されたライチウス会と三田会の合同勉強会での半田理恵子さん(1976年卒)の言葉「信頼という名のバトン」もその一つです。
当日は杉並児童相談所長の坂井隆之君(1986年卒)の基調講演をもとに子供たちを取り巻く諸問題やライチウス会の役割等について話し合いました。

90周年の記念誌を作りながら、なぜライチウス会が90年も続いてきたか、なんとなくぼんやりした気持でいました。
半田さんは、大学を卒業し子供たちや障がいのある方々と別れなくてはならない時に、ライチウス会が90周年にわたり続いてきた真の意味を知ると言います。
そのキーワードが「信頼という名のバトン」でした。

そして、90周年記念誌の編集後記ではこう語ります。
「そう、私たちは子供たちや障がいのある方々との信頼を守り続けるために信頼という名のバトンを後輩に託すことでライチウス会を卒業できるのです」さらに続けて、
「このリレーに、もしゴールがあるとすれば、そこにはどのような社会があるのでしょうか ゴールはまだまだ見えません」
ライチウス会が必要とされない社会を願いながらも、本会の役割に終わりがないことを予見しています。

駒村康平会長は、最近の著書「社会のしんがり」の中で、半田さんの言う「信頼という名のバトン」が間違いなく引き継がれてきたことを紹介しています。

現在私は大学でライチウス会という1930年に発足した学生ボランティアサークルの顧問を引き受けています。  (中略)  彼らは、まったく境遇の異なる子どもたちの人生を知ることにより、異なる人生への想像、共感し、寄り添うことの重要性を学び、人間として成長しています。どうしてそう言い切れることができるのでしょうか。それはこのライチウス会のOB・OG会が毎年あり、最年長の方では90歳を超えていますが、そこで話をするOB・OGの社会への情熱に触れ、若いときに感じたことを大切にし、まさにさまざまな形で「社会のしんがり」を担っていることを知ることができるからです。  (引用 p22-p23)


*「社会のしんがり」(新泉社2800円+税)  駒村会長主催の寄付講座の講演者で地域の困窮と闘う人たち11人を「社会のしんがり」として紹介しています。

ライチウス会を卒業して45年が経った今、「信頼という名のバトン」を引き継いだ一人として、「社会のしんがり」の一部でも担えればと思っています。

2020年4月
1975年法学部法律学科卒 餘吾徳造

「信頼という名のバトン」

半田理恵子(1976年 文学部卒業)

1972年秋、日吉キャンパスには学費値上げ反対を掲げる看板があちこちに立ち始め、全学ストライキを決行するか否かの学生大会が記念館で開かれました。通常の授業はすでに無く、塾生各々が生活の選択の自己決定を迫られていた時代でした。「もう間に合わない。私、学園に行きますね。」ライチの仲間達と共に出席していた私は、自身の意向を仲間に託し立川に向かいました。

私の心を動かした思い、それは、「私との勉強会を楽しみに待っている子供たちとの約束を守らなければいけない、幾度も裏切られた体験を持つであろう子供たちに大学の複雑な事情を説明することなどできない、ライチのお姉さんというだけで私を受け入れてくれた子供たちそして職員の皆さんではないか」
この時、私は改めて、ボランティア活動を継続していく責任と失ってはいけない信頼の重さを痛感したのでした。
しかし、多くの仲間が経験したように、この活動も大学卒業という必然によって、終わりを遂げるのです。築き上げたであろう子供達や障がいある方々との信頼にこうして終止符を打ちながらも、卒業する私達を笑顔で送って下さった皆さんでした。
そして、私達はこの時初めて学ぶのかもしれません。ライチウス会が90年間にも及ぶ歴史を積み上げてきた真の意味を。

そう、私達は子供達や障がいある方々との信頼を守り続けるために「信頼という名のバトン」を後輩に託すことで、ライチウス会から卒業できるのです。

バトンリレーは90年の歳月を経ました。
このリレーに、もしゴールがあるとすれば、そこにはどのような社会の姿があるのでしょうか。

ゴールはまだまだ見えません。